Written By: Christian Wolfer ウォルファークリスチャン
Translated By Rhea Endo 遠藤リア
アメリカの放送局HBOの人気調査報道番組『Last Week Tonight』で、死刑制度に批判的に注目するあるエピソードがあった。日本は先進国の中でも数少ない死刑制度をもつ国であり、この番組をきっかけに、東京にいる身の回りの人に死刑制度について意見を聞くことにした。そのうちいくつかをここで紹介し、私がなぜ、この制度に反対するか、詳しく説明していく。
死刑制度に反対する最大の理由は、無実な人が誤った判断で殺される冤罪の可能性である(アメリカでは死刑の約4%が冤罪)。つまり国家と、国家が代表する私たちが、罪のない人を殺害していることになる。これを踏まえてでも死刑制度を支持するなら、一体どのような利点が挙げられるのか。
死刑制度によって犯罪が減る、という理由はよく聞く。しかし、現時点で犯罪の減少を裏付ける証拠やデータはなく、また国家に権力が集中しすぎてしまう危険性がある。権力の乱用は歴史上実際におこっていることであるため、将来、反対勢力の抑圧などに乱用される可能性は残る。また死刑は組織化された殺人であり、第二次世界大戦時のナチスドイツの行いをみればこれがいかに危険かが明らかになる。ドイツでは、死刑制度を不可能にするために、連邦共和国基本法の第1条が人間の尊厳の不可侵を定めており、組織的な殺戮を防止する重要な条文となっている。
もう一つ、頻繁に挙げられる論点は、重大な犯罪には同等の処罰が下されるべきという点である。しかし国家によって合法化された殺人は、全ての命は平等でなく、無実な人を守るより犯罪者を罰する方が重要だと、示していると言えるのではないだろうか。また日本で死刑判決を下された人の扱われ方は実に醜く、拷問に等しい。死刑囚は日中横になってはいけず、入れられる独房は常に明るく、死刑執行のタイミングは執行当日に伝えられる。遺族は、死刑執行された後にその旨を伝えられ、24時間以内に遺体を回収しなければいけない。「袴田事件」の被告人で死刑判決を受けた袴田巌氏は、2014年に執行停止・釈放されたものの、拘禁反応の影響で精神的な損傷を患った。
「世の中には死ぬに値する人もいる」とも聞く。そうかもしれないが、誰が死ぬべきかは非常に主観的な判断で、時代とともに変化していく。そしてその主観的な判断の末、死という取り返しのつかない結果をもたらす。例えば、第二次世界大戦のドイツでは、人々はユダヤ人が「死に値する」と考えた。その考え方は変化したが、人の死は永久不変である。あなたはそれでも、人の命を奪う責任を負えるだろうか。例え国家がその責任を担っていても、私たちの重荷が軽減されるわけではない。
さらに、誰が犯人か疑いようもないような事件もある、と言う人もいる。これは間違ってはいない。サダム・フセインが行ったことを疑う人はいない。しかし、彼が恐らく多くの人を処刑したと同様に、彼を処刑することは、果たして正しい行動だったのか。
また、日本の刑事裁判における有罪率は99%であるが、これは必ずしも、並はずれた優秀な捜査活動の結果とは言えない気がする。
近年では、DNA鑑定など最新の技術により、「疑いようもない犯人」が救われることが多い。去年アメリカでは、DNA鑑定により、黒人男性が20年の拘束期間を経て釈放されるケースがあった。彼がもし死刑判決を受けていたら、事実の解明は遅すぎたのである。アメリカでは、誤って罪に問われる者のうち3分の2がアフリカ系アメリカ人である。
死刑判決を支持することは、無実な人が殺されるのを許容することを意味し、歴史が示すように社会を、人々を、傷つける道を歩むことになる。メリットはというと、社会にとって破滅的な復讐の念を満たせること。復讐と、罪のない命を守るのと、どちらが大事なのか。あなたはどのような社会的価値観を守りたいだろうか。
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