遠山みずき/菊池幸訳イラスト:キリエベンチュラ
厚生労働省によると、2018年度の日本の女性の育児休業取得率は82.2%であるのに対し、男性の育児休業取得率は6.16%である。年々、男性の育児休業取得率は上昇しつつあるが、女性に比べるとまだ男性の育児休業取得率が著しく低いことがわかる。
名古屋大学で初めて男性の育児休業を取得した田村哲樹教授にお話を伺った。田村教授は2002年9月(当時の男性の育児休業取得率は0.33%)に育児休業を1ヶ月間取得した。
在外研究のためオーストラリアに滞在した2010年1月から7月の期間は、現地に子供たちも一緒に連れて行こうと考え、父親と子供だけの「父子生活」を経験した。
1 育児休業を取得したきっけを教えてください。
妻が育児休業を取得するように、いい意味でのプレッシャーをかけてくれたからだと思っています。
私が育休を取得したのは2人目の子供の時でした。女性だからという理由だけで、妻が育休を取るのは本来当たり前のことではないのですが、妻は当然のように1人目の子供の時に1年間休業して復職しました。
1人で1年間育児をするのは大変だったようで、「なんであなたは育休を取得しないのか。私ばっかりおかしいじゃないか。」と何度か言われていて、プレッシャーをかけられていました。「ジェンダー論やフェミニズムを多少なりともかじっている学者なのに、育休の一つも取らないのか」とも言われていたと思います。
私は自分のことを、自分の意思で何かを主体的にするタイプではなく、ドラえもんののび太くんみたいにできるだけ何もやりたくなくて、何かしなければならないとなった時にだけ行動する性格だと思っています。(笑)
ですから、あの時、妻が「なんで私だけ?」と言ってくれなければ、おそらく私の性格からして育休を取得することはなかったでしょう。ましてや、当時は男性の育児休暇の取得率が0.3%ほどでしたし、私自身も教員になりたてで、若手が休業を取得すること自体いいのかどうか不安もありましたし。
2 育休を取得したことで、ご自身の中での変化はありましたか?
妻と共に生活したこともかなり影響しているとは思うのですが、自分の思い通りにはいかない育児や家事を通じて、自分自身のいわゆる「男らしさ」みたいなものが変わっていったと思います。
大学生や20代の頃は「自分の主張にこだわる」「それを批判される気を悪くする」というような意味での「男らしさの病」のようなものが強い方でした。本当にお恥ずかしい話ですが、学生時代にも彼女と(今の妻になるのですが)どこかに遊びに行って私が何かムッとすることがあった時に、1人で帰ってしまう、ということも1度ありました。
ただ、まだ言葉も喋れないような子供と向き合うと、自分自身を相対化させ、他者ファーストにならざるをえないんですね。
私は、育休以前から、「それなりには子育てをやる父親」の「つもり」でしたが、いざ生後11か月の次男と昼間2人だけでずっといる生活をすると、「とにかくずっと『気にしていなければならない(care)』ということの大変さ・しんどさ」を実感しました。
そういうわけで少し大げさかもしれませんが、育児という「自分の思うとおりにならない他者と一緒にいるという経験」を通じて、自分自身のこだわりに基づく強い感情を和らげられるようになったと思います。
3 育児休業を取得した際の、職場の方の反応を教えてください。
とても印象深い出来事なのですが、当時の学部長の先生に育児を取得したいと相談したら、先生は「権利なので当然ですよ」とおっしゃってくださいました。
「教授会で他の先生方から承認してもらう必要がありますよね」と私が話した時に、当時の学部長の先生は、「それは権利だから、周りからの承認なんて必要ないでしょう。ただ、田村先生が急にいなくなると周りの先生も驚くかもしれないので、報告事項として育休として休職することを教授会で報告しておきましょう」ともおっしゃってくださいました。
本来、休職するのは誰もが持つ当然の権利なので、誰かが決めることでもなく、自分が申請すれば取得できる育児休業なのですが、その状態が当たり前になっていないのが現状だと思うんです。
ですから、育休を取得することを当たり前のように扱ってくださったのはありがたかったです。これは冗談になりますが、この時は「さすが法学部!」と思いました(笑)
4 田村教授が育児休業を取得されたのは2002年(当時の男性の育児休業取得率は0.33%)で、男性が育児をする環境が十分ではなかったと思います。男性が育児するのが”当たり前”でなかったからこそ感じたこと、苦労したことがあれば教えてください。
今では男性も利用可能なオムツ替えのスペースも多くありますが、2000年代初頭はちょうど、それらのスペースが少しずつできはじめた頃でした。
父親である私と子供2人だけで外出した際には、オムツ替えのスペースがなかなか見つからず苦労したことはありました。1歳の子供を連れて、街中を歩き回ってなんとかデパートの中に私でも使えるオムツ替えスペースをみつけましたが、その時は大変でしたね。
あとは、男性トイレに子供を安全に置いておくチャイルドシートが無かったのも苦労しました。
–小さい子供と外出する際に必要なオムツ替えスペースにアクセスするまで時間がかかるのは大変ですね。そのほかにも何か感じたことはありましたか。
私が子供たちを育てていた2000年初頭は、街中で父親が1人で赤ちゃんを連れて歩いている状況をあまり見かけることはありませんでした。
実際そのことで何か言われたことは1度しかありませんでしたが、父親である私が子供を抱っこしながらあるお店に行って、ドアを引いた時に、足元のバランスを崩して、少しだけぐらっとしてしまった時があったんです。その時に「あら、お母さんはいないの」、とそのお店の店員さんに言われたんです。
その言葉にどういう意味合いがあったのはわかりませんが、子育てになれない父親が子供を抱っこなんかしているからバランスを崩したと思われたのか、あるいは純粋にこんな小さい子を男だけで連れてどうしたのと思ったのかもしれないですね。
あからさまに何かを感じることはそんなにありませんでしたが、男性が小さい子供を連れていることはあまりなかったので自分でも緊張感を感じることはありましたね。
5 フェミニズムやジェンダー学を研究している田村教授であるからこそ、育児の際に気をつけていた点はありますか。
ジェンダー論的な観点から言うと、「男だから」という言葉を使わないようにはしていました。「男の子だから頑張りなさい」というような言葉を使っていなかったのは断言できます。
ただ、男だからと言う言葉は使わなかったとしても、どうしても小さい頃はいわゆる「戦隊もの」など「戦い」系のテレビ番組好きで、そういうおもちゃが多かったと思います。そこを無理して曲げて、ジェンダーニュートラルなおもちゃにする、というところまでは考えていなかったと思います。
—言葉遣いに気を使っていたんですね。
はい。言葉遣いというと、先に生まれた子供を「お兄ちゃん」と呼ばないで、名前で呼ぶようにしていました。
—言葉を使ってしまうことで、無意識に役割を押し付けてしまうことはありますよね。
そうですね。たとえ「お兄ちゃん」と呼んでいなくとも、兄と弟で、親の向き合い方・接し方の差が出てしまうものだと思います。それに加えて、「お兄ちゃん」呼ぶことで新たに生まれる役割やプレッシャーを与えたくなかったので、名前で呼ぶようにしていました。
—他にも意識していたことはありましたか?
子供達に自分が家事、育児をする姿は積極的に見せていました。意識していたからやっていたのではなく、やることになっていたからやっていただけですが、背中で語るというか、「父親が家事・育児をするのは当たり前」と思ってもらいたかった部分はあると思います。
6 男性が育児休業を取得する意義はなんだと思いますか。
パートナーがいることが前提の話になってしまいますが、パートナーとより良い関係を築くことができることだと思います。
なんだかんだ言っても日本ではまだ男性は仕事、女性は家事・育児という性別による分業が多くの場合、続いていると思います。もちろん人にもよりますが、その性別分業が夫婦関係にネガティブな影響を及ぼしているのではないかと考えています。
「分業による子育ての恨み」のようなものはその後の家族関係・夫婦関係に大きく響いていることが多くある気がします。家族生活の節目節目で男性・父親が不在だったこと自体が、女性・母親の意識に影響を及ぼすのではないかと。例えば、母親が病院にいる時に、父親が接待ゴルフに行っていたとか。
逆にいえば、家事、育児を含めた家族生活をもっとシェアできていればそうはならなかったと思うので、育児休業を取得して子育てに父親が関わるというのは、夫婦関係を持続していくために必要なことだと思います。
7 日本の育児休業の制度についてはどう思いますか?
育児休業の制度自体はそれなりに整備されてきていると思います。特に、2000年代以降はじわじわと。
改善点を挙げるとするなら、昔よりは良くなってきてはいますが休業中の所得保障だと思います。やはり育休を取ることでその間の所得が大幅に減るということは大きな問題だと思うんですね。
直近では変化しつつありますが、メインの稼ぎ手が男性である場合が多いので、そうなると収入が激減してまで男性が休業して育児をするということは難しいと思います。
ですから、日本でも休業中の所得保障が改善されれば、もう少し男性の育児休業取得率が伸びていくとは思います。
—確かに育児休業の所得保障が充実していなければ、経済的な面を考えたときに男性が育児休業を取得したくとも難しいというところが現実ですね。
はい。ただ、共有されている意識・規範というものもここ20年くらいでかなり変わったとは思います。特にここ10年くらいは「子供が生まれて男性が育休を取得する・子供に関わることは当然で、否定はできないでしょう」という風に。
そのおかげで男性の育児取得率がはっきり増えてきているのはここ5年くらいですよね。2010年代の前半くらいまでは増えてきたと言っても、2%、1%くらいで。ここ5年くらいで、3,4,6%、徐々に増えてきてはいるわけですね。中には、妻の出産時に2,3日ほどあるいは1週間だけ、というのも含まれているわけですけど、20年前には、そういうのもなかったわけですから。
そう考えると、世の中の考え方や意識が変わってきて、制度的に、前よりも使われるようになってきていると思います。
–では、日本社会の男性の家事育児に対する意識は変わったので、あとは実際に育児休業という制度を利用する男性が増えれば、今後日本は男性も育児休業が取得しやすくなると思いますか?
現在の日本社会では育児や家事を含む仕事以外のものに重きを置くライフスタイルが、もしかすると昔とは違った意味で難しくなっているのではないかと思います。というのは確かに、男性が育児家事に参加を拒んできた要因の1つであった日本の伝統的な働き方は変わりつつありますが、それに変わって、新しく能力主義・成果主義的な普及しつつあると思います。
特に、ちょうど子育てをする20代・30代というのは能力を発揮して会社内で評価に晒される時期だと思います。その時期に育児や家事をしながらも、仕事では短時間でコミットして結果を出すことは非常に難しいというか、無理があることだと思います。たまにそういう人が出てくるのがいけないと思うんですけどね(笑)やはり、子供と向き合っていると、時間も身体的・精神的なエネルギーも取られますし。
つまり、個人の能力主義の時代に新しい問題としては、業績主義的な圧力が育児や家事を拒んでしまう恐れがあるということです。
代替案としての家事代行サービスももちろん利用していけばよいのですが、これが切り札になってしまうことには、私は少し違和感を覚えてしまうんです。
先に言わせていただきたいのですが、私はもっと子供と触れ合いが必要、手作り料理が大事と言いたいわけではありません。私も家事や育児は正直楽をしたいですし、冷凍食品をたくさん使いますし(笑)
私が違和感を感じる理由は、私自身が仕事第一的な世の中だけではなく、仕事以外にも重きを置けるような世の中になってほしいと思っていることが関係していると思います。
まとめると、今まで男性の育児家事が難しい要因の1つであった日本の伝統的な働き方から、実力主義に変わったからといって、育児休業が取得しやすい世の中になるかは定かではないということです。むしろ、業績主義的な圧力は育児や家事を阻む恐れがあり、そこをどうしていくかは今後の課題だと思います。